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【富士高分子】社長インタビュー
社長インタビュー 富士高分子株式会社
富士高分子の社長に、将来なってみませんか?
 
少年〜学生時代
東北は福島県の染物屋の長男として生を受け、チャンバラごっこが好きな普通の子供でした。当時、東映映画の全盛期で、木枝を拾ってはチャンチャンバラバラと子供たちは皆遊んでいたものです。
その影響があってか、剣豪・宮本武蔵に憧れ、高校・大学と体育会剣道部で毎日いい汗を仲間とともに随分流しました。今思えば、この頃の恩師との出会いが私の人間形成に大きく影響したように思います。
就職活動
私は長男ですから、何年か経てば実家に戻り家業を継ぐつもりでおりましたが、数社の会社を訪問しているうちに、大企業で企業の歯車として働くよりも、自分の力を試せる元気な中小企業で、会社とともに成長したいと考えるようになっていったのです。
丁度そんな頃、大学のゼミの先輩が「京都には美しい女性が多く酒も旨いから、一度遊びがてら会社を訪問しないか」という誘いがあって、この富士高分子にやってきました。
その先輩がいま私を支えてくれている、相澤専務です。その当時感じたのは、アットホームでありながら、大企業並の組織がきっちり整った会社だと感じました。
入社〜社長就任まで
まず私は、学生時代に剣道で培ったヤル気と元気と粘り強さで無事現場研修を終え、経理部に配属されました。そして2年半後、台湾の子会社へ出向。ここでは経理だけでなく、資金繰りなど会社全体のマネジメントまで任されることになったので、外部との交渉や現地スタッフとのコミュニケーションを図る為に、独学で言葉を必死で覚えました。ここでの7年半は、外から富士高分子を見る事ができたのが結果的によかったと思います。
そして日本に戻ると、何と私の肩書は営業所長。初めての営業、しかも本社から遠く離れた東京でたった3人の所帯。それから7年で会社の全売上の約50%を東京ではじき出すまでになりました。そして47歳の時に取締役、49歳で専務、50歳で社長に就任しました。
社長に就任して
当社は、不運にも約19年苦難の道を歩みましたが、日本政策投資銀行(旧 日本開発銀行=政府系銀行)の支援を受けて、2002年新生・富士高分子が誕生しました。レイターDIPファイナンス適用、スポンサー無し、債権銀行が新規融資、そのどれもが日本で初めてのことです。これは当社にはすばらしい技術力と開発力、そして人材が揃っていたからこそ成し得る事ができたのだろうと思います。
そして現在、上場企業を目指し、株主である社員に利益を還元できるよう、これからも全社員が一丸となって頑張っていきたいと思っております。
 
FUJI POLYMER CO.,LTD.